うんこの備忘録
はじめに
私たちは、多くの事を忘れて生きている。
それは時に些細なことであったり、
はたまた人生を左右しかねない一幕であったり。
数多の情報が流れては消えてゆくこの世の中、忘却という事象は自然の摂理とも思われるが、人間はそれに対し「記録」という手段を持って抗ってきた。
歴史、文化、風習…、
これまで世界を取り巻いてきた目まぐるしいモノ、コトをこれからに活かすため、人類は原初より世を記すという行為を諦めることはなかった。
ならば、私もそれに倣おうではないか。
歴史を紡ぐ、という人類の歴史を、私も今一度体験し、見直して、私という自己をこれからにつなげるためにも、これまでを見直していこうではないか。
かくして私は備忘録をしたためるに至る。
稚拙な文章ではあるが、
しばしの間お付き合いいただきたい。
今日の備忘録
という訳で、これから備忘録を綴っていこうと思うが、皆さんは
うんち
という言葉をご存じだろうか。
当然のことながらご存じであると思う。
便、大便、フン、糞、うんこ。
様々な呼び名はあれど、これらは等しく排泄物を表す名称で、これまで人類及び生物に大きな影響を及ぼしてきた生理現象の、その結果である。
うんちの歴史は深い。いや、太く長い。
かの徳川家康公は大敗した戦場からの逃亡の最中脱糞したといわれ、諸説あるが伝説的なロックスター、エルビス・プレスリーも便秘が原因で死亡したとされている。
その他うんちが人類史を揺るがした例を挙げれば枚挙に暇がなく、これらのことから、社会においてうんちがどれほどの便意、いや、権威を持つか皆様にもお判りいただけたかと思う。
さて、
こんな話が一体どうやって長い人生のこれからにつながっていくのか?と、疑問をお持ちの方も非常に少数ながらおられるだろう。
というわけでそろそろ本題に入ろうと思う。
「うんち、基本マイナス」
大丈夫。気が狂った数学者の遺言ブログではない。
私は当然、一人の人間としてうんちとは親しい間柄であり、時に彼の奔放な性格に惑わされながらも、有効な関係を便器を通して築いてきた。
それ故に、うんちという事象、もしくはそれそのものが、不適切な物体、あるいはマイナス的な表現として世に流布されている事実が、誠に遺憾でならない。
学校で大便に勤しめばうんこたれと罵られ、逆張りで漏らしたとて糞漏らしのトロフィーが解禁される。
そういった悲劇をこれからの世に蔓延らせないためにも、ここで今一度うんちについて改めて考え、排泄=悪印象という風潮に楔を打ち込まなければならない。
という訳で、以下より
「嵐を呼ぶ!うんこラブラブ大作戦」
を開始したいと思う。
見ていただければ…。(知性が芽生えた野原しんのすけ)
問題点
そもそもうんちはなぜ悪印象を持たれているのだろうか。
太古の昔より生物は糞をし、時に垂れ流してきたにも関わらず排泄は恥ずべきものという印象が今も尚ケツから拭われていないのは、それなりの理由があるに違いない。
しばらく考察してみた結果、
以下のような点がマイナス面として考えられた。
・不衛生
・外見が汚く不適切
・名称が汚物を連想させる
・くさい
・きもい
・空気が読めない
・無理してでしゃばるな
お゛え!!!!!!!
申し訳ない、あまりの罵詈雑言の嵐に思わずえづいてしまった。
やめな?うんち君もう学校来れないよ?
いろんな意味でこう門通れなくなるぜ???
少し考えただけでこれほど精神にダイレクトアタックを仕掛けてくるちくちく言葉が羅列されることになるとは、やはりうんちの存在そのものが悪なのであろうか。
しかしながら、私はこれからの世界の為にもそれに対し反旗を翻さなければならない。これらの明確な悪意、もといヒントを手掛かりに、うんちの好印象化を図っていきたいと思う。
解決策
とはいえ、一個人にできることと言えばたかが知れており、特に
「不衛生」「匂い」
に関しては他人の腸内環境と便そのものの特性によるため、
私が腸内環境省便清潔課という低俗なギャグマンガの住人でもない限り、根本的な解決策を講じることは困難を極める。
であるならば、やはり印象の改善が唯一私がうんちに介入できる余地であるだろう。
先にも述べたように、うんちには手に余るほどの別称が存在する。そしてまた、その名称がことごとく不潔な印象を与えるものであり、日常会話においてはそのほとんどが意識的に忌避され、使用される場面は少ない。
物体そのものはおろか、名前すら呼ぶことを許されないとは。
このままでは便に
「うんちヴォルデモート」
という双方にとって害しかない名称が追加されることになってしまう。
という訳で、大便にうんちやうんこ以外の清潔かつイノセントな名称を考案し、それを正式なものとして世に発布するため尽力していきたい。
とはいったものの、現代におけるうんちのブランドはすさまじい。昨今ではうんちという名称を冠したフィギュアから、児童に向けた教材に至るまで発売、発行されている。
そこから新たに名称を変更するにしても、練度の低い、適当な名前では周囲に嘲笑され終わるのがオチであるだろう。
しかしながら、世間がうんちのユーモラスさを認めつつあるならば、それを利用しない手はない。
現在広まっている名称以外、とは銘打ったが、元の良さも残しつつ、少しずつ改変していくことにしよう。
実際に改善してみる
まず初めに、現在の名称から代表的な
「うんち」
ここにおいて改善すべき点があるとするならば、おそらく誰もが最初に
「ち」
を選択するだろう。
なんだ。「ち」とは。
排泄音か?
そう思うと「うん」すら気張ってる情景の描写に思えてきた。
何て名前なんだ。
では早速、「ち」に代替する文字を選別しよう。
ユーモラスながらも清潔感のある、
クラスの人気者のような名称にするため、
個人的な感想ではあるがどことなく清い印象を与える「さ行」を当てはめてみる。
「うんそ」
やだな。
何故なのか、念のため元の子音と合わせたものを選択し当てはめたのだが、より軽薄な何かへと変貌してしまった。そして何よりさ行の持つ魔力なのか、脳内のうんちイメージが固形から砂状へと脳内変換され、PM2.5もびっくりのスーパー大気汚染が地球を覆うさまをありありと想像できる。
その他「うんさ」「うんし」「うんせ」「うんす」など「さ行」を順に当てはめてみたものの、どうもしっくりこないうえに類似する単語がもとより存在するため、うんちそのものの存在感が薄れてしまう結果となった。
(余談ではあるが、「雲楚」と漢字変換すると名のある高僧みたいになっていいね。)
その後、様々なひらがなを「ち」に変えて当てはめてみたものの、特筆するほどの素晴らしい代替案は出るに至らなかった。
決して手抜きではないので、是非皆さんも同様の試みを行ってみてほしい。歯の間に肉の繊維が挟まって取れないような気持ち悪さを体験することが出来ると思う。
では、いっそのこと全く違う名称を考えてみたらどうだろう。語感そのものはうんちそのままで、本来のユニークさを保ちながらもある種のスマートさを備えた、そんな名前を。
聞くところによると、某テーマパークでは園内を掃除しているキャストに「何を拾っているのか」と聞くと、「星のかけら」あるいは「夢のかけら」を拾っていると答えてくれるそうな。
(ちなみに筆者は幼少のころその噂を聞き園内で嬉々として尋ねたところ普通にごみと答えられたので真意は定かではないしキャストの邪魔をしてはいけない。(戒))
これは非常に素晴らしく、たとえそれが路傍に鎮座する誰のかわからない野グソであったとしても、その一言で対象物は「うんち」から「ファンシーステキ物質」へとその姿を変えるのである。
これはまさに当初の目標であった「印象の改善」にぴたりと当てはまり、うんちのマイナスイメージをことごとく払拭することも可能なのではないだろうか。
アガッてきた。
しかし、ここで失敗しないためにもこれまでの注意点をおさらいしておきたい。正直成人した立派な大人がこれ以上うんちの記事を書き続けるのは、精神衛生上あまりよくない気がする。
以下注意点
・うんちのネガティブな側面を感じさせない。
・排泄の雰囲気を感じ取らせない。
・「ち」などの破裂音は極力用いない。
・愛をもって命名する。
さて、長かったこの記事もいよいよ大団円である。備忘録という名目で書き始めたこの記事も、後世のマイルストーンとなるに値する文章へと熟してきたのではないだろうか。この記事をはじめとし、不定期ではあるものの同様な記事をこれからもしたためていくため、どうか応援のほどをよろしくお願いしたい。
さて、一人語りはここまでにして、私の考えたうんちの新名称を発表したい。
ここから歴史が変わると思うとぞくぞくするが、皆さんも同様の心持であると思う。
では…………
これがうんちの新名称だ!!!!!!!!!!!!!
「さわやかベイビー」
終